2015/04/30

不自然な日本語

3歳でアメリカに渡った長男は、
4歳からニューヨーク市の学校制度に組み込まれました。
平日は現地校に通い、英語で学習していますが、
土曜日は補習授業校で日本語で国語と算数を学習しています。

日本で生まれ育った日本人を親にもちながら、
アメリカで生まれ育つ子どもにとって日本語は「継承語」、
つまり「親から受け継いだ言葉」です。
子どもの育つ環境で毎日使う言葉である「現地語」は英語で、
彼のように補習授業校に通って学習する子どもたちは
「継承語学習者」と呼ばれています。

さらに、国際結婚の家庭では、父親の母語と母親の母語という
複数の継承語をもつ場合もあります。
そんなわけで、ニューヨークではバイリンガルは当たり前、
3か国語を操る人も珍しくありません。
しかし、継承語は、幼少期から触れている言語なのに
成長するにつれて厄介な言語となることも多いのです。

前置きが長くなりましたが、ときどき、長男が
不自然な日本語を話したり書いたりすることがあり、
これは継承語学習者に特有な現象ではないかと思い当りました。
たとえば、こんな感じです。

「落ちた」(I fell.) → 「転んだ」
「人たち」(people) → 「人々」「○○の人たち」
「(宝くじで)勝った」(I won.) → 「(宝くじが)当たった」
「うれしく遊ぶ」(I play happily.) → 「楽しく遊ぶ」
「覚えない」(I can't remember.) → 「思い出せない」「忘れちゃう」
「犬をもっている」(I have a dog.) → 「犬を飼っている」
「友達を見る」(I see my friends.) → 「友達に会う」

最初は理解に苦しみましたが、自分の英語が上達するにつれ
単純に直訳していることが分かりました。
間違えたときに直してやると、徐々に自然な言い回しになっています。
ただし、「remember」のように意味が「覚える」と「思い出す」の二通りある言葉は
子どもに分かるように説明することが難しいです。
また、「happy」は、場合によっていろいろな使い分けがあり、悩ましい言葉です。

長女は12歳で、次女は8歳で移住しましたが、このような現象は長男だけです。
おそらく、8歳までには基礎的な日本語能力は形成されるのでしょう。

以上、非常に少ないサンプルの研究結果でした。

2015/04/21

ぐうたら娘の大学進学

長女の高校卒業が近づいてきました。

高校の最終学年は、午前中で授業は終わっちゃうし、
大学への申し込みが済んでしまうと、勉強もしないし、
午後にクラブ活動やアルバイトする気もなさそうだし、
部屋にこもって友達とチャットしたり、
オンラインゲームで遊んだり、・・・と、ぐうたらに磨きがかかっています。

日本の大学に進学して(実家の父母と同居して
面倒をみて)ほしいとの私の願いも虚しく、
長女は、アメリカの大学への進学を決めたものの、
「まだ何を勉強するか決まっていない。」
と言うので、2年制大学に通いながら進路を考えることにして、
11月に CUNY の1校に申し込ませておきました。
オンラインでの申し込み手続きは自分でさせ(もう18歳だからね)、
親はクレジットカードで申請料金(65ドル)を支払っただけでした。

年明けから何度も何度も
「大学の入学手続きはどうなってるの?」
と、尋ねていましたが、進展なし。
親もアメリカの大学進学手続きをしたことがないし、
高校からは卒業記念写真撮影の連絡が入り、
あと2か月で卒業でしょ?本当に大学に行けるのかい?
と思い始めた昨日(4月20日)のこと、長女曰く、

2月に「Congratulations!」っていう受け入れ許可のメールが来てた。
5月1日までに手続きすればいいんだって。

と。
・・・おいおい、あと2週間しかないじゃないか!
手続きは、デポジット100ドルを払えばいいだけなので
今週中に手続きすることを約束させました。
しかし、メールに気が付くのがもっと遅くて、
締め切り過ぎてたらどうするつもりだったんでしょうね。

長女は、過去に2度、図書館の本の返却日を忘れて
(オンラインで更新しろと言ったのにもかかわらず)
超過料金を払わされた前科者ですが、たいした金額ではありませんでした。
そのうち、もっと痛い目に合わないと分からないのかもね。

Queensborough Community College - Main Gate

進学先は、5年前、夫と私が参加した無料の英語プログラムもある
近所のコミカレでございます。

2015/04/20

学校給食に関する一考察

今年度(2014年9月~2015年6月)、
12年生の長女は午前中で授業が終わるので、帰宅して家でお昼ご飯を食べています。
9年生の次女はランチ難民と化し(まずい、場所がとれない、時間がない)、
毎日お弁当を作って持たせています。
4年生の長男だけは、ウェブサイトでメニューをチェックして
苦手なチーズが出る日だけお弁当を持たせています。

今日、メニューをチェックしたら、Visual Menu なるものが登場していました。


学校給食は過去に味見をしたことがありますが、
これは食事というより軽食です。ちなみに、1食1.75ドル。
しかも、給食の時間は20~30分程度で、長男にお弁当を持たせても
「時間がなくて食べきれなかった。」
と、残してくることも多いのです。

こんなファストフードみたいな給食だから、お腹がいっぱいにならなくて
常に何かを食べているアメリカ人を生んでいるのではないかと思います。
ひいては、肥満児を増やしているのではないでしょうか。

2015/04/13

ハリオくん

文房具店に大安売りの文房具を買いに行った。
茶封筒、蛍光ペン、はさみ、鉛筆、4色ペン、修正テープなど。

レジに行ってメンバーズカードを渡すと、私の名前を見た若い男性店員が
Are you Japanese?
と聞くので、
Yes.
と答えたら、
My mother is Japanese.
と言う。そこで、
Do you speak Japanese?
と尋ねると、
「少し、話せます。」
と、日本語で返事が返ってきた。さらに、
「8歳のとき、1年ぐらい日本に住んでいました。」
と言うので、
「どこですか?」
と聞いてみたら、くまモンの棲息しているところだった。
会計を終えて商品を手渡してくれるとき
「ありがとうございました。」
と言ってくれて、うれしかった。

近所の文房具屋さんに日本語で話せる人のいる幸せ。

2015/04/10

さようなら、ベタ一郎

4月8日、ベタ一郎がお釈迦様のもとに旅立ちました。
(4月8日は「花まつり」なので、お釈迦様のところに行ったと信じる)

2013年6月24日、長男がクラスメイトからもらって来てから
約1年9か月、我が家の一員でした。

2週間ほど前から左腹の辺りがふくらんで、
何かの病気のようでした。
手を打つことができず、見守るばかりでしたが、
とうとう最後は動かなくなり、水底に沈んで息絶えました。

ベタの寿命は2~3年とのことですから、
天寿を全うしたのかもしれません。

 ↓ 在りし日のベタ一郎

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